考察:論理思考の歴史
元は宗教分野が論理思考の保有者であったとみている。
キリスト教、イスラム教界隈のことはよくわからないが、
日本の歴史を鑑みると、聖徳太子以降、仏教の伝来以降
高僧が政治の中枢に近いところに位置し続けていたことが
この話の論拠である。
仏教における論理思考はその法理の解説の仏典の中に見て取れる。
例えば原理である法華経を構造化した天台による一念三千の理論などが
それである。こういった書物を著すための思考方法そのものが暗に奥義と
され、高僧を時代のエリートとしていたのではないだろうか。
そうやって、コンピューターの無い時代、宗教が論理的思考の伝承の媒体と
なっていたのではなかろうか。
所を現代に移す。論理思考はコンピューターの登場以降、それこそ
ロジックの塊であるプログラミングの概念の発達によって、哲学や
宗教の分野から放たれた。軍隊はおそらくそれをいち早く取り入れたが
その秘匿的性質上、軍から直接世に広まったとは言えないだろう。
また、資本主義の台頭によりビジネス分野での論理思考の再生産が
行われ、一定の、過去の宗教という規模からすれば相対的に小さく
はあるかもしれないが、体系立てた構造をとり始めている。
それらはWBSやPDCAやOODAなどがある。
現代における論理思考の媒体はビジネス、つまり商業的思想の上に
成り立っている。
宗教を媒体とした論理思考を白黒の、またはモノクロの論理思考の時代とした場合
現代のビジネス的論理思考は無色の論理思考の時代と言えよう。
なぜモノクロか。宗教の目的の一つに、たぶん最も大きな目的だと思うが、
教義の頒布というものがある。教義における対象の判別、白か黒か。
ゆえにモノクロの論理思考と呼ぶことにしたい。
なぜ無色か。ビジネスにおける目的は経済的発展であると考えている。だが
経済的発展は全体の統一意志ではなく個々のケースによって方向性にまとまりがない。
ベクトルは限りなく拡散していると思われる。ゆえに無色である。
これからのことを考えよう。次に現れる色は黄色寄りの暖色、暖色の論理思考で
あると思っている。黄色寄り、というのは赤から黄色が主な暖色にあたると思うが
赤は炎の連想を強く引き起こす。これは工業分野の連想となる。
黄色は対して光のイメージが強い。通信、ひいてはコミュニケーションを想起させ
るものととらえての選択である。
つまり、今後隆盛する論理思考の媒体は、コミュニケーションを目的とした
生産活動の中にある。これはもうすでに始まりつつあるように見える。
パーソナルアシスタントの原型ともいえるSiriやGoogleアシスタント、
スマートスピーカの存在や、人と人との結びつきを、距離、そして時間をを越えて
行えるSNSなどの土壌の醸成がそれを物語っている。
行動心理学、というものはそれほど一般化されてはいないだろうが、今後おそらく
重要性を増してくるだろう。それこそ個人個人にとって。
これ等はおそらく熱を持つ。そういった意味でも暖色の論理思考の時代、
と言えるのではないだろうか。
さらに先のことを考える。寒色の論理思考の時代だ。
ここに何を当て嵌めたらいいかはまだ判然としない。だが熱はいずれ冷める。
ゆえに寒色の時代はおそらく来るだろう。30年先か150年後かは分からないが。
その次に現れるのはきっと音楽的論理思考になるだろう。これがどの程度の広がりを持って受け入れられるかは分からないが、音楽によっていかに人が癒されるかは、論理的に言及される。
想像がつくのは、これで最後。芸術的論理思考の拡散である。人はいかようにして感動し、いかにして幸福に至るか。
かつて軍などではどのようにすれば人はダメになるかの実験を繰り返していたようだが、21世紀以降のトレンドは、人はどのようにすれば幸福になるか、の実験、というか論理的考察を主体としてほしいところである。
今はここまで。